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自分と向きあい続けた先でやっと見つけた「本当にやりたかったこと」

ONtheに関わる人々、利用する会員様にスポットを当ててその人生に迫るインタビュー特集「穏坐な人々」。今回は、株式会社CocoFreey代表取締役の山博美さん。NLPビジネスコーチとしてクライアントさんのニーズに応え、実績を出しながらもいつしか、「稼ぎ方」を教えるコンサルタントの仕事に疑問を抱きはじめる。ひたすら自分と向き合った先でようやく見つけた、彼女が「本当にやりたかったこと」とは。

インタビュアー / 上野 優子

株式会社CocoFreey (ココフリー) 代表取締役 / 山 博美
子どもの頃から生きづらさを抱え、今年になってそれがHSPという生まれもっての気質からくるものだとわかる。2018年に会社を辞めて起業し、ビジネスシーンに特化した仕事をしていたが、現在は自分と同じHSPの人たちとの交流会やカウンセリングの活動をしている。

米国NLP ™協会認定NLPコーチ/ 米国NLP ™協会認定NLPマスタープラクティショナー/ NLPヒプノティスト認定/ TAカウンセラー認定/ 実践カウンセリング修了 

さめざめと涙が流れるとき

「人は本当にやりたいことに出会えたとき、たださめざめと涙が流れるものだ─」誰の言葉か、どこで読んだのかも覚えていないけれど、私の記憶に残っている一文。

よくあるシチュエーションとは言えないこの一文が、インタビュー中に思い起こされた。この日に聞かせてもらったお話のテーマは、これなんじゃないかと思っている。

「HSP」。生まれもって繊細な人たち

取材前に目を通していた山さんのプロフィールには「私はHSS型のHSPです」と書かれていた。最近では芸能人が公表するなど耳にする機会も多いが、その前につく「HSS型」は初めて聞くものだった。

HSP(Highly Sensitive Person)・・・生まれ持った気質で人一倍繊細な人。音や強い光、匂いなど周りのあらゆる環境に敏感。物事を深く掘り下げるので行動するまでが慎重になる。共感性が高く感動も深く感じるが、人のことを敏感に受け取りすぎてストレスも感じる。繊細ゆえに社会の中で生きづらさを感じることが多い。統計によれば人口の15~20%の人がHSPであるという。

HSS(High Sensation Seeking)型HSP・・・「刺激追求型HSP」と訳される。好奇心旺盛で外向的。行動的でポジティブな人だと思われるが実は繊細。活発に行動するが刺激を受けすぎると疲れてしまうなど、コントロールが難しい。他人の気持ちを汲むことに長けるが、同時に傷つきやすくもある。好奇心の「アクセル」とHSPの特性である慎重な「ブレーキ」を併せ持つといわれ、人口の6%という統計がある。

「繊細」という記述を多く見たせいか勝手に抱いたイメージがあった。だけどONtheに現れた山さんは、背がスラリと高く華やかな雰囲気が目を引いて、遠目でもすぐにその人だと気づくことができた。

人間関係の悩みから心理学を学び、カウンセラーの道へ

実はご自身がHSPだと気付いたのは今年になってから。生まれ持った気質ならば、どんな子ども時代を過ごしたのだろう。

「子どものころから、自分の思いや考えが周りと違うことが多くて生きづらかったですね。実際はそうじゃなくても、いじめられているのかなと思ったり。母がいなかったので、自分が人と違うのは母親がいないからで、普通にあるものが自分には備わっていないのかもしれない、と考えたりもしていました」

HSPがまだ世間に知られていなかった時代に、自分がその気質を持っているなどとは気づきようもなかったはず。そんな生きづらさを抱えながらも結婚し、嫁ぎ先の家業を繁盛させるなど順風満帆な結婚生活を過ごした。しかし7年後に離婚。一時期は娘さんとも離れて暮らすなど、「アップダウンの多い人生でしたね」と振り返る。

そんななか、17年勤めてきた会社の人間関係でうつの一歩手前に陥ってしまう。会社を辞めたくない一心で、カウンセリングを受けようと調べていたとき、カウンセラーという職業 に目が留まった。

「自分だけでなく、他人も癒せる仕事があるんだと知って『自分のように悩んでいる人を助けたい!』と思ったんです。そこからNLP(心理学)を学び始めました」。2017年のことだった。

目の前の人が変わっていくことに生きがいを感じた

「NLPに続いてコーチングを学んだ時に、私のコーチングでその人が変わって、目の前で目標を叶えていく姿に、たまらない幸福感と達成感を感じて、『この喜びこそ自分の生きがいだ』と強く思いました。副業ながらも結果を出して、可能性を感じたので、会社を辞めてこれを仕事にしようと決意したんです」

そして2018年12月に起業。順調に仕事の依頼が入り、起業や収入アップを叶えていくクライアントさんを送り出していった。やりがいもあり、それなりに自身の収入も増えた。だけど……。

「去年の2月くらいから『これが本当に私のやりたいこと? 私のように悩んでいる人を助けたいと思ってたよね? 稼ぎ方を教えたかったわけじゃないよね……』って、モヤモヤしだしたんです。すると不思議なことに仕事の依頼も来なくなって」

そこからの一年間は初心に立ち返り、ひたすら自分に問いかけ、自分と向き合って過ごしたという。

「それで『順番が違っていた』と気づいたんです。自分にとってワクワクすることや、幸せは何なのかをわかったうえでビジネスを始めるのと、収入を増やしたいという理由だけで始めるのとでは、“心” つまり満足感や幸福感が全然違う。まずは内側、土台を整えることが大切だと気づいたんです」

関西人の精神

なんでもおトクと考えるのは関西人スピリットなのか・・・

そして今年の2月、HSPという言葉を初めて耳にする。教えてくれたのは、自身がHSPなのだと告白してくれたクライアントさんだった。「もしかしたら、博美さんもHSPなのでは?」と言われ、セルフ診断チェックをして判明した。しかも人口の6%といわれるHSS型だった。

子どもの頃から感じていた「生きづらさの正体」が、ようやくわかった時の心境はいかばかりか……と思っていると、

「これやったんや私! しかも6%のほう! え?これってスゴイやん! 私ってレアやん! って思ったんですよ(笑)」

それを聞いている私にも関西人の血が流れている。 “希少性のある方がなんかおトク精神” なのか、「私もそう思うかも……」「そうでしょ!?」と二人で笑ってしまった。

HSPさん専門のカウンセラー、コーチへ。

「そうだとわかったら『私が助けたいのは同じHSPの気質を持つ人たちだ! 』って霧が晴れたように繋がったんです。私は “ 私みたいな人” を助けたかったんです」

自分のやるべきことが明確になった瞬間だった。

そして2月以降、ONtheの会議室やカフェで、HSPの方々と交流会やお茶会を始め、夜は誰でも参加できて気軽に語り合う「スナック山ちゃん」を、オンラインとオフラインで開催している。

交流会では、参加者それぞれの特性を一瞬で見極めてアドバイスしていくという。同じ繊細な気質を持ちながらHSSの外向的な面も持ち合わせ、加えてNLPやコーチングのスキルを持つ山さんだからこそできる集まりだ。

「私がやりたいことをして、そこに集まってくれる人を大事にしようと思っています。HSPさんたちに、日々の生活や仕事でも、その特性を活かすことができると伝えたいんです。本来持っている良いところを引き出したい。……みなさんがね、自分の子どものようなんです」

 “この人たちの役に立ちたい” という想いが溢れていた。やるべきことがわかり「今が幸せです」と話すたび、みなさんのことが思い出されて感情が込み上げるのか、山さんの目が潤んでいた。つられて私の涙腺もゆるむ。

この時にあの冒頭の一文が思い起こされていた。山さんがいま一人だったら、さめざめと涙を流すだろうかと。

わかりあえる場所。

2月以降のSNSに写る山さんは、柔らかな素材の服を着て笑っている。「服装も変わりましたよね」と伝えると、

「成約のために集まりに参加してアポ取って。もうそういうの、いいんです。目の前の人を幸せにすればいいんだから、コーチらしい服もいらないんですよ」と笑った。

名刺交換から始まる仕事はほぼないと言う。だから名刺も持っていない。 最後にこれからのことを聞いてみた。

「まずはHSPさんのカウンセラーを育てたい。それでスナック山ちゃんでもカフェでもいいんですけど、店員がHSPのカウンセラーで、お客さんもHSPさんっていうお店をやりたいんです。わかりあえる空間になるから。でも何にしても、その人たち自身のやっていることを活かせる場所を作りたいと思っています。やりたいですね、ほんとに」

編集後記

毎回、確固たる信念で仕事に邁進中な「穏坐な人々」の中にあって、今回の山さんのストーリーは始まったばかりで、瑞々しい果実のよう・・・そんな印象だった。

名刺を持たない山さんに、次に作るなら肩書きは何にするのかを聞くと、「HSPさん専門、メンタルコーチってなんか堅くないです?しっくりくるのが浮かばなくて……だから今は作らなくてもいいのかなって(笑)」だそう。まだ当分、名刺はもらえそうにないみたいだ。

(文:上野 優子、写真:今井 剛)