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「楽しく働く人」を増やしたい。どんな人も、自由でいられる。

ONtheに関わる人々、利用する会員様にスポットを当ててその人生に迫るインタビュー特集「穏坐な人々」。今回は、フリーランスのキャリアコンサルタントとして活動する中野敦志さん。大手企業の社内SEからキャリアコンサルタントの道を歩むことになった経緯や、人の”働き方・生き方”に焦点を当てた中野さんが目指す「キャリア支援」について、お話を伺った。

インタビュアー / 吉川 夢

キャリアコンサルタント / 中野 敦志
大手企業の社内SEとして会社全体のシステム管理を23年間担った後、キャリアコンサルタントの国家資格を取得。社内カウンセラーとして勤務する傍ら、キャリアコンサルタントのメンバーシップグループwellbeingを立ち上げる。2018年2月に早期退職。現在はフリーランスとして、キャリア開発に関するセミナーやコンサンルタント向けの支援活動を行っている。

営業から社内SEを経て、カウンセリングの道へ

「会社では情報システムの部署に23年いたんですよ。」

中野さんのこの言葉が、私の興味を強く引いた。

キャリアコンサルタントという職業と、情報システム部で働く社内SEに、関連性が思い浮かばなかったからだ。

パソコンが広まりつつあった当時、Windows3.1を社内に広めるために新しく情報システムの部署が誕生し、中野さんは営業からそこへ異動することになった。

「実は、プログラミングには全く興味がなかったんです。社内にはプログラミングを扱うプロがいて、僕らの仕事は彼らの言葉を解釈して、社内のバイヤーへ引き渡すことだったんですね。言ってみればハブ的な存在です。言語を変換して聞いてあげて、双方に伝えてあげる。当時はバイヤーと話しするのが楽しかったですね。」

ところが、41歳の時に管理職となり、マネジメントの仕事に辛さを感じるようになった。

「その頃、他部署のマネージャーが過労で倒れて、社内全てのシステムを管理しないといけなくなったんです。トラブルがとにかく多くて、毎晩電話がかかってきたり。毎週月曜日に部会があったんですが、そこで色々言われるのがストレスになって、会社に行く足がすくむこともありました。」

システムから離れたいと思うようになった頃に、ちょうど役職定年を迎えることになる。

「全社のシステムを管理していたこともあって、社内では顔が広かったんです。そこで『社内のキャリア開発をやってくれないか』と、当時の部長から言われたんです。」

23年前にシステムの部署が新しくできた時、営業から異動をしてきたのと同じように、今度は会社がキャリア開発を始めるタイミングで、また異動の機会が巡ってきた。

「全く違う分野だったんで戸惑いもあったんですが、面白そうやな、と思ったんです。カウンセラーって、今まで体験したことも考えたこともない。面白そうやなあって。」

ジレンマを感じながら続けた社内カウンセリング

中野さんがキャリア開発に携わることになったのは、折しもキャリアコンサルタントの資格が国家資格になるタイミングだった。

「キャリアコンサルタント資格を取るための第1回目の講座が、ちょうど僕が異動になった年の4月から開講したんです。始めは”自分がキャリア支援?”という感じでしたが、受けてみるとこれが面白くて。講座が終わってしまうのが寂しくて、資格を取った後も一緒に学んだ仲間と自己研鑽しようと言って始めたのが”wellbeing(ウェルビーング)”というグループなんです。」

wellbeingは、中野さんが会社にいた頃に始動させたグループで、キャリアコンサルタント向けのセミナーや、一般向けのキャリアカウンセリングなどを行っている。

キャリアコンサルタントとしての活動自体は新鮮で楽しかったが、ジレンマもあった。

「前例がないのでしょうがないんですけど、カウンセラーといっても結局は同じ社員同士じゃないですか。社内なのでお昼に食堂で会ったりするし、関係の深い部署だったら打ち合わせとかで会ったりしますよね。その時、社員かカウンセラー、どっちの顔で会ったららいいかよく分からなくなって。」

本来、カウンセリングを行う人が相談者と多重関係(※)になるのは望ましくないとされている。

「ちょうどその時に選択定年制度の話があったんです。本来のカウンセリング、多重関係のない人たちのカウンセリングをやってみたいなっていうのが、希望退職を選んだ1つの要因でした。」

だが、中野さんはもう1年、会社の社内カウンセラーとして在籍することになる。

「嫁さんに『このタイミングで辞めようかな思ってんねん』と話をしたら、僕が1年前からキャリアの仕事とかwellbeingの活動をめっちゃ楽しそうにしてる姿を見ていた嫁さんが、『めちゃくちゃ楽しそうやね、今』って言うんです。『その楽しいことを与えてくれたんは誰?』って。僕ははっとして『会社です』って答えたんですね。『たった1年で、恩返しせんでいいの?』って言われて、それじゃあもう少し続けよう、と。」

それから1年後に辞める決断をした時は、奥さんも快く受け入れてくれた。

※カウンセリングの多重関係…カウンセリングにおいて、「カウンセラー」と「クライアント」以外の人間関係(友人、恋人、上司部下など)を築くこと。カウンセラーは、利害関係が成り立たないようこれを回避しなければならない。

どんな人も、楽しく自由に働ける

会社を退職した後は、1年間の”ギャップイヤー”を取った。

「僕は自分がキャリアの仕事をやってたにも関わらず、自分とちゃんと向き合ってる時間がそんなになかったんですね。そこで、この開放感の中で、本当に自分と向き合ったらどうなるのかなと思って、1年間は何もせんとこ、と。お金を稼ぐとか、仕事という仕事は何もせんとこって決めたんです。」

wellbeingとしての活動を続けながら、自分のキャリアや生き方と向き合うことに費やした1年間は、とにかく楽しかった。

自分が楽しいと感じ、自由でいられる仕事をしていれば、どんな人も楽しく働けるだろう、そんな考えが頭に浮んだ。

「僕は”楽しく働く”ってことを自分の理念にしてるんです。だからキャリア支援でも、楽しく働くことができる人を増やしたいなって。めっちゃ抽象的なんですけどね。」

ビジョンもある。

次のキャリアへ踏み出せずにいる20〜30代向けには1年間のメンターをつけ、非正規雇用に悩む30〜50代には正規雇用に向けた支援を、ぶら下がり社員などと揶揄されてしまう50G社員(50代ジェネレーション)には自律したキャリアの手助けを行っていく。

幅広い世代の”働く人たち”へ、働きがいのある仕事というものを示していきたい。

「まず大事なのは、自律的な働き方であって。それを突き詰めていくと、”楽しく自由に働く”ということがとても大事だと思っているんです。それをみんなに感じてもらえるようにしていくのが、僕が目指すキャリア支援です。」

楽しく自由に働けないと思い込んでしまう人は、とても多い。

「だけど、自由って考え方ひとつだと思うんです。僕が一番いやだったのが朝9時から5時まで意味なく席に座ってることだったんですけど、捉え方によっては、自分で工夫すればその時間を自由に使えるわけでしょ、やることをきちんとやっていれば。」

中野さんは、ナチス時代にアウシュビッツへ収容された精神科医ヴィクトール・フランクルの『夜と霧』を例に出し、こう続ける。

「ああいう極限的な状況に置かれていても、人間は自由にいられる。希望を見出せる。なので、どんな人でもどんな状況にあっても、自由でいることは許されてるのかなと思うんです。そういう”ジョブクラフティング”(※)的な考え方で仕事をしてもらえたら、もっと良くなるんじゃないか。そんなことを伝えていけたらいいな、と。」

※ジョブクラフティング…仕事への向き合い方や業務のやり方を一人ひとりが工夫することで、自らの仕事を働きがいのあるものに変えていくこと。

ONthe UMEDAは人との繋がりが生まれる場所

フリーランスのキャリアコンサルタントとして活動する中野さんに、ONthe UMEDAの活用意義を聞いてみた。

「僕はもともと別のコワーキングスペースの会員で、コワーキングの価値を知ったのはその頃でした。フリーランスになりたての頃は特に、普段では出会えないような幅広い人たちと知り合えるのが新鮮で。そこで出会った人とは今も結構お付き合いさせてもらっています。それから(ONtheと同系列の)OBPアカデミアでもセミナーをやらせてもらうことになって、そこでもいろんな人と知り合うことができました。」

その後、梅田の中心地に新しくできたONthe UMEDAの会員になった。wellbeingのメンバーの一人も、ユーチューブ収録などに利用している。

ONthe UMEDAを利用する一番の目的は、人との繋がりだ。

「仕事の99%は人の繋がりからですから。そもそも営業ができないんですよ、僕。もの売り込むとか、自分売り込むとか一番の苦手で。売りたいものが先に頭にきちゃうんで、あれはよくないですよね。ものを考えなかったら人と繋がるしかないんで、繋がっていく中で、『そういえば中野さんああいうことやってたな』った思い出してもらう。で、僕も『あ、この話やったらあの人やなあ』って繋いでいける。しがらみのない世界って自由でいいですよね。」

夢は”富士山を見ながら生活すること”

最後に、中野さんの夢を教えてもらった。

「たいそうな夢はないんですけど、個人的な夢は”富士山を見ながら生活する”っていうのがあります。60歳で移住したいと思ってるんで。55歳の時に西伊豆を旅行したんですが、あそこはね、駿河湾の夕焼けが見えて富士山が見えて、とてもいい場所なんです。」

西伊豆に訪れた2日間は雲ひとつかからず、地元の人は「こんなことは滅多にないよ」と教えてくれた。

「これはきっと僕を呼んでるねんな、と思った」と、中野さん。

「キャリアコンサルタントを仕事にしていこうと思ったのは、将来オンラインでできるだろうってこともあるんですよ。リアルでのコンサルティングじゃなくても、ネットワークを介してできたらどこに住んでいてもいいんじゃないかって。その未来が、コロナの影響で5年くらい近くなった。これもひとつの可能性として叶えられるんじゃないか、と思っています。」

中野さんがキャリア支援の枢軸に置く”自由に楽しく働く”というあり方は、中野さん自身にとっても今まさに現実になろうとしている。

自らが楽しく働く姿を見せながら、キャリアコンサルタントとして自律的なあり方を広めていく。

中野さんがいる限り、“誰もが自分のキャリアに自ら向き合い、楽しく働ける未来”は、きっとすぐにやってくるはずだ。

編集後記

中野さんは、私とはふた回り以上も離れた人生の先輩だ。

だが不思議なことに、この日の取材では、その年の差を感じることがほとんどなかった。

「強さの価値観が変わってきている」と、中野さんは言う。

男は強くなければいけない、社会で生き残るのに弱くてどうする。

そういった「我慢強さ」ではなくて、あるがままの自分を認める「柳のようなしなやかさ」を、現代の”強さ”とするならば、中野さんは間違いなく後者の感性を持った方である。

私は取材を進めながら、次はぜひ聞き手ではなく相談する側として、中野さんとお話がしたいと、そう感じた。

(文:吉川 夢、写真:今井剛)