そこに“心”はあるのか。これが僕の人生をかけたテーマです。
ONtheに関わる人々、利用する会員様にスポットを当ててその人生に迫るインタビュー特集「穏坐な人々」。
今が最も自分らしく過ごせる、と語るフリーランサー 亀井郁人さんにフィーチャーしてみる。自己肯定感の低さに悩みながらも、譲れないこだわりを持つ、不器用でほろ苦い学生生活から、あっという間に逆転していく人生の変遷を辿ってみる。
インタビュアー / 宮内 めぐみ
- ライター/ディレクター / 亀井 郁人
- 26歳。神戸大学工学部卒業。ほとんどが大学院へと進学する中、就職活動を人一倍早く始めたが全滅。2019年2月よりフリーランス人生をスタートさせ、金融系メディアのライター/ディレクターを主軸にしつつも、”心”を大事にした働き方を追求している。
意識高い系男子、されど自己肯定感は低く
「僕、大学時代は、いわゆる“意識高い系”です(笑)
学生団体に所属したり、就活めっちゃ早く始めたりしていました。学生団体は活動自体は至極真面目だけど、頑張ってる自分たちにちょっと酔ってるみたいな。」
ケロッと自分のことをそんな風に紹介してくれた。
礼儀正しい挨拶から始めた亀井さんは、私から見ればもれなく好青年の部類。
さぞやキラキラとした学生時代かと思いきや、意識高い系男子は大学卒業まで、自己肯定感の壁と闘い続けてきた。
「小学校の時からいじめられっ子で、そこから自己肯定感が低くなったのかもしれないですね。中学での部活(陸上)で実績を作ったことで一旦は自信を回復していくんですが。
ただ、昔から団体行動が苦手で、学生団体への所属は、人生で初めてチームプレイをした経験です。だけどいつも自分だけが周りと少しズレてて、周りからも『アイツよう分からんわ』と判定された時期もありました。
集団の中で無理して振る舞う自分がいたし、飲み会ともなれば何を喋ったらいいか分からず、ずっと黙ってましたね〜。
本来話すことも好きなのに、地味に過ごして……やー、ほんま辛かったですね!活動を楽しむはずが、ストレスのほうが大きくなっちゃって、自己肯定感もどんどん低くなっていくのがわかりました。口内炎15個できたんですよ。
なんかストレスの出方もひっそりして地味っていう(笑)」
「君、どこも受からないよ。」
「結局、自己肯定感が低いから就活も全然あかんくて、自己PRがめっちゃ苦手だったんですよね。いつも能力試験なんかでは受かるんだけど、面接となると見抜かれるのでしょうね。ことごとく落ちました。」
極めつけは…と、亀井さんは話を続ける。
「一番行きたかった企業から、嬉しいことに『採用したい』と言っていただいたんです。だけど社長面接のときにハッキリと『君、どこも受からないよ』と言われてしまって。薄々と分かっていたけど、自分の肯定感の低さに問題があると直接言われたらキツイですね(笑)
だから、社会に出るまでに自分の課題を克服しようと決めました。」
これをきっかけに就活を止めたのは4回生の春。 周りでは内定者が出始めていた。
断固、譲れない「ありのままで働く自分の姿」
4回生ならまだまだ内定のチャンスもあるだろうに、潔い決断。
ここからの亀井さんは、内定獲得よりも『自分らしくいられる』ということに人一倍執着する。
「課題を克服するために、卒業までの1年間、インターンシップしました。でもやっぱり器用にはいかずに、3ヶ月で終わる研修が7ヶ月もかかっちゃって、クビ宣告まで受けました(笑)
卒業して就活を再開したものの、どうにも自分がワクワク働いているイメージが持てなくて、2ヶ月で止めちゃいました。その後8ヶ月間、いわゆるプータローでした。」
淡々と話す様子には、かつて自分を押し殺していた学生の面影はなく、ただただ自分の人生をよりよくするため、一生懸命に、冷静でひたむきに、自分と向き合う姿があった。
「多くの場合、1日でも早く就職を求めるかもしれません。
だけど自分は無理に就職しないって決めていたんです。ありのままの自分で仕事ができる環境に妥協したくなかった。」
やっぱり、潔い。
プータロー人生、潮目が変わる
彼の潮目を変えた1人に、同世代の坂さんがいる。
“何度でも再挑戦できる社会を作る”というビジョンを掲げ「Blind Up.」を立ち上げた人だ。
「彼に出会ってからですね、自分の生き方の幅が広がったのは。学生時代の経験から漠然と持っていた理想や価値観を、坂は全て言語化していました。聞いた時『彼と一緒に活動すれば、自分の生き方が確立できるんじゃないか!?』と坂が引くほどテンションが上がったのを覚えています(笑)」
意気投合したことで、亀井さんはライターとしてBlind Up.に関わる。
「学生時代は嫌われそうで、悩みとか自分のことを話すのが怖かったです。だから、本を読むか、自分ひとりで考えるしかなかった。
でも、坂との出会いをきっかけに、自分のことを気兼ねなく話せる人と沢山出会って、自分の生き方に確信を得られるようになったんです。」
坂さんとの縁は相当に大きかったのだろう。気がつけばとても生き生きとした表情を浮かべていた。
「頑固でよかった」。一生譲れない考え方
「今では、何事にも“心”があるかどうかが絶対譲れない点です。誰かと一緒に仕事をするなら、その人が仕事を通してどうしたいのか、そこに “心”は込められているのかを大切にしています。
考えてみたら僕の就活も同じですね。誇りを持って仕事に取り組めるのか、自分のする仕事に“心”を込められるかどうか、常に考えていました。
結果、回り道はしたけど、この考えに頑固であり続けて良かったと思ってます。
人間関係に不器用でつらい時期を過ごしたからこそ、自分ととことん向き合えて良かった。今では相談できる人、未来を語り合える人が沢山いてくれます。」
その価値観にどっしりと揺れ動かない信念を感じた。
中学生で出会った言葉は今も人生を支えている
これまでのエピソードから人生曲線を書くと、亀井さんは20代前半まで中央線より下で上下する図なのかなぁ…なんて勝手に考えていた。
しかし、“心”を軸にする信念を持ったきっかけは中学の恩師。
亀井さんは一生モノの出会いを果たしていたのだった。
「陸上部の顧問で、すっごい厳しい人だったんです。ちょっとでも姿勢が崩れているとめちゃめちゃ怒ってくるし、胸ぐらを掴んでくることもありました(笑)
だけど、陸上競技を通じて、人の心を見てくれる方だったんです。
高校も陸上を続けたら、中学の時に理解できなかった指導の意図がやっと腑に落ちることもありました。ある日、先生に挨拶に行った時に『先生が何を伝えたかったか分かった気がします。』と言ったんです。」
『高校生じゃなくても、大学生でも、社会人でも、分かる時に分かってくれたら、ワシは嬉しい』
先生はそう言ったそうだ。
この瞬間に亀井さんは、陸上を通して教え子の将来を心から考える先生の想いに気づいたという。
「いつも同じことしか言わなかったけど、理解するまで待ってくれていたんです。
先生がよく言っていた言葉で、『恩を俺に返すより、その気持ちを持って次の人に渡せ』というのがありました。
だから今の僕はあくまで先生の教えを実践しているだけなんです。まだまだですけど(笑)」
先生の教えはしっかりと引き継がれていた。
“最強のナンバー2”
今後目指していくものを伺うと、
「僕、最強のナンバー2になりたいです。」
とはっきり。
「僕は物事の仕組みを理解することに自信があります。
だけど、ロジックには限界があって、時には直感力を必要とする場面が出てきます。そんな時こそ、パートナー=ナンバー1の直感力が最大限に発揮できればいいなと。
僕はその瞬間まで、ロジックで解決できる問題をクリアにして支える存在でありたいです。」
真っ直ぐな視線に自信と確信を感じた。
確実に近い将来なるであろうことを予感させる。
環境は整えた。あとは知ってもらう。
自身が心地よく働ける環境を自ら整えた亀井さん。
今見据えている課題は『自分を魅力的に伝えること』とのこと。
「自分で自分を良く話すって、僕は苦手なんです。だけど、自分の生き方を体現するためには、自分自身を魅力的に伝えていかないと考えているので、今はこれがテーマです。」
ちょっとだけ苦笑いしながら、そう話してくれた。
編集後記
20代って割と自分の心の葛藤があるお年頃なのに、なんだか達観していた亀井さん。インタビューを通して思ったのは「感性と論理の思考バランスが素晴らしい」ということ。
それを伝えると、「僕、もともと直感タイプだったので、ロジックは後で身についた感じです。結局器用貧乏です、ハハハ(笑)」と言ったので、「えーと、直感のままでロジックが弱い私はどうしたら良いのでしょう?」とマジ相談をしたら、「ロジックは練習したら身につくので大丈夫っすよ!」とやさしく諭してくれたのでした。
達観した26歳、亀井さんの今後が楽しみです。
(文:宮内めぐみ、写真:今井剛)