
できることを突き詰めて、夢をつかむ。いくつもの繁盛店を生み出す経営哲学
ONtheに関わる人々、利用する会員様にスポットを当ててその人生に迫るインタビュー特集「穏坐な人々」。
今回お話を伺ったのは、関西や海外で飲食店や宿泊施設を数多く運営している「株式会社大地」代表取締役、大門 忠博さんです。まったくの異業種から飲食業に飛び込んだ経緯や、従業員の独立を応援する経営などについて、詳しくお話を伺いました。
インタビュアー / 知院 ゆじ
- 株式会社大地 代表取締役 / 大門 忠博
- 滋賀県野洲市出身。高校卒業後に電気関係の仕事に就き、1987年に上水道・下水道の設計業務を行う「株式会社大地」を設立。その後銀行からの紹介で焼肉店「牛角」のフランチャイズを始め、飲食業に特化。現在「炭火とワイン」などオリジナル業態を大阪・京都に展開し、海外出店や宿泊事業など幅広く手掛ける。
好きなことではなく、できることをやっているだけです

「よく『好きなことをやっていますね』といわれますが、そういうわけではないんですよ。できることをやっているだけで。好きだからできるわけではないし、できることじゃないと商売はできませんから」
数々の飲食店を繁盛店に導いてきた大門さん。「自分に厳しく、人にやさしい」を地でいくような方だ。
できることを突き詰めて、製図の世界へ

大門さんが代表を務める『株式会社大地』は、大阪と京都に『炭火とワイン』『焼肉ホルモンブンゴ』などの飲食店を展開している。また、中国やベトナムへの出店や、宿泊事業・イベント業など、幅広く手掛けている。
だが、大門さんはもともと飲食業出身ではなかった。
「中学生のころから、自分で商売をしたいと考えていまして。高校卒業後に電気関係の仕事に就き、24歳で独立しました。ただ、工事をするには機械や道具などにお金がかかる。そこで、あまりお金をかけずにできる仕事ということで、電気関係の図面を描いていました」
その後、当時滋賀県では手掛けているところがなかった下水道関係のトレースとインキング(下書きを正確に転写し、インクで清書する製図技法)を始める。
「工事屋さんから『今から工事をするから半年後に竣工図がいるんやけど、作れるか?』といわれて、やったこともないのに『できます』と返事してしまいました。いったん引き受けてしまったので、もうやるしかない。大阪でその仕事をしている企業へ見学に行き、ゼロからやり方を教えてもらいました」
「一人前になるまで数年はかかる」といわれていた作業を、血の出るような努力で半年後にはできるように。
「先方に『こんな感じですが、いかがでしょうか』と私の作った見本を持って訪問すると、『いける』とお墨付きをいただいて。下水道工事が本格的に始まる時期と重なったのもあり、一度営業に回るとあとは次々と仕事が入ってきました。売上のグラフを手書きしていたのですが、すぐ上限が足りなくなって紙を継ぎ足さなければならないほどでしたね。ずっと座って仕事をしていたので、腰は痛くなりましたが」
製図から飲食へ。人の教育を重視して成功を収める

下水道は公共事業ということもあり競合が増え、将来性に不安を持っていたところ、銀行から思わぬ声がかかる。
「当時は電気と下水の会社を持っていたので、元気のある企業に見えたのでしょうね。銀行の支店長から、飲食をやってみないかといわれまして。面白そうだなと話に乗り、関西初となる『牛角』を京都の西院に出店しました」
販促方法、ハガキや折り込みの効果測定など、飲食店のマーケティングはすべて牛角の親会社から教えてもらったという。その後、別業態の『土間土間』をこちらも関西初で手掛けると、これが大ヒット。このころに図面の仕事をやめ、飲食一本に絞った。
「全国各地から視察が来て、毎週のように講演に呼ばれるようになりました。関西での成功を見て、関東の赤字店舗のてこ入れをしてほしいと親会社からいわれたのもそのころです。当時は投資目的でのフランチャイズ出店も多かったのですが、そういうお店は人の教育が後回しになっているので利益があまり出ません。まずは店長とアルバイトの方の信頼関係を築くところから始めて、10店舗ほど手掛けてすべて黒字化しました」
人に任せて成功していくのを見るのが楽しい

飲食の運営で楽しいのは、店と人が育っていくのを見られるところだと大門さんは話す。
「当社は『夢獲得企業』として、みんなに独立してもらいたいという理念を掲げています。独立目的でうちに来て勉強する方も大歓迎です。当社の責任者にはPL(損益計算書)をしっかり教えて、『お金の管理と従業員のやる気の出し方がわかれば、どんな仕事でもできる』と伝えてきました。実際に独立して店舗を出したり、デザインやコンサルの部門で独立していったりと、いろいろな形で自分の商売を始めるようになるのを見るのは本当に楽しいですね」
現在では、すべての店舗が自社開発の業態となっている。
「自社業態は、従業員がすべて作ってきました。息子二人は別の企業から当社に戻り、長男は民泊、次男は旅館やホテルの運営をしています。どの業態も企画や運営は従業員に任せており、私はほとんど関与していません。私が取っかかりを作るので、あとは自分たちでやってくれというのが基本的なスタンスです。たとえば、『炭火とワイン』はアルバイトから入った従業員が物件を見つけて作った店舗です。大分牛を一頭買いして提供する焼肉店についても、大分県とつながりを作って仕入れルートを作ったのは従業員です」
中には、見切り発車で始めた事業もある。
「京都の祇園にある店は、契約してから『芸舞妓を呼べる店にしよう』と決め、お茶屋さんに掛け合いました。最初は断られそうになりましたが、次男の人脈で芸舞妓を呼べることになり、それを看板にして料亭をスタートできたんです」
大門さんや従業員の情熱で、難しいと思われることを形にしてきた。できないことをできるようにするには、人の力と縁が不可欠だと思い知らされる。
コロナ禍が縁で、ONtheを利用するように

これまでで一番苦労した時期は、やはりコロナ禍のころだと話す。
「お客さんが来ないのに、給料と家賃は払い続けないといけない。これは会社が潰れるのではと、そのころは思っていましたね。そのタイミングでフランチャイズをやめて自社業態に絞り、江坂にあった事務所も閉鎖することにしました」
大阪に多くの店舗がある以上、大阪での拠点が必要だと探していたところ、たまたまONtheを見つけて即入会したそうだ。
「滋賀の本社に社長室はあるのですが、社長室に行っても電話がかかってきたり呼ばれたりして、すぐに仕事には取りかかれません。その点、ONtheでは到着してすぐに仕事にかかれるのがいいですね。一人でも回りに誰かがいるので寂しくないし、エアコンも効いていてドリンクもあるので快適だし、パソコンがわからなければ教えてもらえますし。最初のころ『マウスの電源はいちいち切るのか?』という初歩的な質問をして、『切る人も切らない人もいます』と無難に答えてもらったのを今でも思い出します」
ONtheは業務や会議で活用するほか、講座にも積極的に参加している。
「最近では、AIの講座を受けました。これからの時代、ロボットとAIが結びついてくるでしょう。我々の仕事は接客業なので、人と人とのコミュニケーションという、AIに任せられない部分を伸ばすのが重要です。見えないところはロボットに任せ、接客は人が笑顔で対応するというのが、これから生き残るためには大切だと感じています」
幸運は誰にでも平等にくるものです

今後の事業展開として、高級路線の店舗と新しいセントラルキッチンの立ち上げを考えているそうだ。
「高単価の店舗でインバウンド客を狙い、セントラルキッチンで店舗業務の効率化を図りたいと考えています。併せて、卸販売やふるさと納税、小売りにも対応していく予定です」
また、ES(従業員満足度)をさらに充実させるところは今後も譲れないという。
「当社は飲食業としては異色で、売上よりもCS(顧客満足度)とESを重視しています。ESが上がればCSも上がる、CSが上がれば売上はついてくるという考えです。また、私は優秀なアルバイトにはどんどん社員の領域に入ってきてほしいですね。求人難の時代なので、優秀なアルバイトを社員で採用して、さらに強みを伸ばしてレベルの高い人材を育てていくのが効率的だと思うんです」
アルバイトから社員にしていく流れを作り、1年かけて従業員を育てていくという、従業員が独立して運営する「カンテラ」という試みがある。その試み自体はうまくいっているが、最終的な成長は自分の気持ちの持ちようにかかっていると大門さんは力説する。
「従業員には『チャンスを見極める力が必要だ』と常に伝えています。幸運は誰にでも平等にくると思っています。同じものを見て、夢を叶えるチャンスだと思えるかどうかが大事ですね」
『夢獲得企業』として、従業員には積極的に独立してほしいという大門さん。インタビューの最後にいった言葉が印象的だった。
「常に熱意を持ってやっている人は、流れ星を見た瞬間に願いごとを3回、迷わずいえるものですよ」
編集後記
忙しく毎日を過ごされている大門さんの息抜きは、DIYだといいます。
「宮崎・日南にある宿の塀や土壁を修理したり、庭に苔を植えたりしています。施主が自分なので、失敗しても自己責任ですから気楽なものです」
現在、大門さんは72歳。108歳まで生きるのが、大門さんの夢だそうです。
「母親が96歳で健在だし、最近は寿命も延びていますから、108歳は別に普通やなと思うようになってきました。理想の最期は、『ポツンと一軒家』みたいなところでポックリ逝くことです。横に若い看護師さんがいてくれたら、さらにいいですよね」
私がいうのもおこがましいですが、間違いなく108歳よりも長生きすると思います。
(文:知院 ゆじ、写真:中山 雄治)


