多文化共生の架け橋「やさしい日本語」でコミュニケーションを
ONtheに関わる人々、利用する会員様にスポットを当ててその人生に迫るインタビュー特集「穏坐な人々」。今回お話を伺ったのは、フリーランスの日本語教師 船見 和秀さん。誰もが暮らしやすいまちづくりをサポートしたいという想いで「やさしい日本語」の普及活動に取り組まれています。そんな船見さんの活動や想いに迫りました。
インタビュアー / さとう れいこ
- 日本語教師、やさしい日本語エバンジェリスト / 船見 和秀
- 地元の三重県伊賀市で地域日本語学習支援活動を27年間行っているフリーランスの日本語教師。日本語教師養成講座講師、やさしい日本語指導養成講座講師など、活動は多岐に渡る。一般社団法人やさしい日本語普及連絡会設立メンバー。
キャリアリセットで始まった日本語教師への道
ーー日本語を母語としない外国の方へ日本語を教える「日本語教師」。理工学部卒という船見さんが、日本語教師を目指したきっかけはこうでした。
新卒で銀行に就職したのですが、体調面の問題もあってすぐ辞めてしまったんです。地元の三重に戻り再就職したものの、やはり続かない…会社員に向いていないなと思ったんです。
よく考えると、職業を選んで就職していなかった。キャリアリセットして、何か自分でできる仕事はないだろうかと調べていた時に「日本語教師」という職業があることを知りました。
日本語を話せない外国人に日本語を教える…なかなか魅力的な仕事だなと感じ、一から勉強しはじめたのです。
日本語教師になるためには、日本語教師養成講座で学ぶ必要があります。今でもそうなのですが、男性の日本語教師は珍しく、当時30人ほどの同期がいる中、私を含め男性はたった3人。当時25歳男性の私は非常に珍しい存在でした。
また、日本語教師の就労形態は非常勤が多いんです。待遇の問題もあり、大学の専任講師などポジションの高い人でなければ、日本語教師一本では生活できない方がほとんどでした。
当時、日本語教師としてのスキルももちろん磨いていきたいと思っていましたが、同時に「絶対日本語教師で食えるようになってやる!」という変な反骨心がありましたね。
子どもが置き去りにならない教育を
ーー日本語教師養成講座に通い始めて1年ほど経ったある日、新聞に掲載されていた日本語ボランティア募集の記事に目が留まった船見さん。地元である三重県伊賀市でのボランティア活動でした。
市内に外国人が増えてきたので、日本語サポートのグループを作りたいので集まってください、といった内容でした。まさにやりたかったことだ!そう思って飛び込みました。まだ養成講座で学んでいる最中のことでしたが、同時に現場に立つという経験もできたのです。
今では伊賀市の教育委員会から委託を受け、外国籍児童生徒日本語指導コーディネーターとして各学校をまわっています。
三重県は47都道府県の中で、外国籍の人口が多い4番目の地域です。これは各メーカーの主力工場が三重県に集中しているという背景があります。今や三重県の経済は、外国の方々がいないと成り立たないのです。
外国の方が多く住んでいるということは、当然子どもも多く住んでいます。そんな外国にルーツを持つ子どもたちを置き去りにしない教育をするために、外国籍児童生徒日本語指導コーディネーターとして活動しています。
ーー外国人の子どもでも日本に定住しているのだから、問題なく日本語が喋れるのではないかと思ってしまいがち。でも、それは危険な考え方だと船見さんは言います。
子どもは一般的に言葉の習得が早いとされています。たとえ英語でも、おそらく現地に1年いれば問題なくコミュニケーションが取れるレベルまで喋ることができるでしょう。
でも、言葉がしゃべれるからといって勉強についていけるかといえば、そうではありません。日本語であれば、意図的に勉強をするための日本語能力をつけない限り、勉強はできないんです。
よくあるのが、〇〇人の彼は友達と仲良く日本語でコミュニケーションが取れている。でも、算数や国語の成績がよくない…努力が足りないのではないか?と学校の先生が判断してしまうことです。
教科書を読み、自分で考え、日本語で書くというレベルの日本語の能力をつけるには、実は5年から7年かかります。
語学ができるというのと、その語学を使って教科学習ができるというのは別なのです。
この問題に気づけていないと高校入試に受からず、進路が閉ざされてしまう…といったことに繋がってしまいます。
ですから、コミュニケーションの日本語と教科学習で使える日本語能力は別ということを学校の先生方に伝えたり、先生方がどのように子どもたちに接していけば良いのかアドバイスしたりしています。
自分がやりたかったことはこれなんだ
ーー日本語教師養成講座で学びながらも、ボランティアとして現場に立っておられた船見さん。ところが、仕事としての日本語教師のスタートは厳しいものがあったと言います。
日本語教師の資格を取得したからといって、すぐに仕事があるわけではありませんでした。でも、働かないわけにはいきませんから、地元の学習塾の講師として働くことにしたのです。
日本語学校に履歴書を送るなどの就職活動はしていたものの、なかなか上手くいかない。学習塾の非常勤講師として働く日々…このままだと塾講師になってしまう。
何のために養成講座に通って資格を取ったんだ…何のために会社を辞めてまで日本語教師のプロになったのだろうと考えた時、一度原点に戻り、フリーランスとして活動してみようと決意しました。
ーーその後、自身の家で塾を開き、日本語教育の割合を増やしていく船見さん。さらに、日本語教師養成講座の講師としての道も切り開いていきます。
30代前半から日本語教師を育てる仕事にも巡り会えました。やりがいのある、面白い仕事ですね。
あと、フリーランスとしての働き方が、自分に合っていると感じています。フリーランスは何時間働こうが自由です。土日も働こうが、休みがなかろうが、自分で決めているのですからまったく苦になりません。むしろ、声をかけていただいて、自分が何かすることで感謝されるなんて、素晴らしい働き方だと思っています。
自分がやりたかったこと、心の奥底にあったものというのは、こういうことなんだなと気づくことができました。
社会インフラとして、やさしい日本語を
ーーフリーランスの日本語教師として活動の場を広げていく船見さん。やさしい日本語についての理解を社会全体へ広げていきたいと言います。
やさしい日本語ツーリズム研究会の立ち上げ人である吉開 章さんから声をかけていただき、吉開さんを代表に、地域日本語教育コーディネーターとして活動されている井上 くみ子さんと私の3人で、一般社団法人 やさしい日本語普及連絡会を設立することになりました。
「入門・やさしい日本語」認定講師養成講座をオンラインで開講し、やさしい日本語の認定講師を育てていく活動をしています。全国にやさしい日本語認定講師を配置するのが目的です。今では認定講師が200名ほどいて、地元密着で活動してくれています。
私たちとしては、やさしい日本語の認知度を上げ、社会的インフラとして、みんながやさしい日本語を使えるようになってほしいと思っています。
入国制限の緩和により、今や300万人もの外国の方が住んでいる日本。日本人の働き手が不足する業界が多い中、経済を支えてくれるのは日本へ働きにきてくれている外国の方々です。
そんな外国の方々が暮らしやすく、働きやすい日本でありたいですよね。そのためには、言葉で支えていく必要があります。
私たちが彼らにとってわかりやすい、やさしい日本語でコミュニケーションが取れるようになることで、結果的に日本の経済を支えることになるのです。
ーー外国の方へ日本語を教える日本語教師、そして日本語教師を育てる講師、学校教育の場でコーディネーターと、多岐にわたる活動をされている船見さん。さらに、ONtheではさまざまなイベントを開催されています。
ONtheにはさまざまな職業の方が来られていますから、イベントでやさしい日本語の認知度を上げていければと思っています。
さっきも申し上げたように、私たち日本語教師だけがやさしい日本語を使えるだけでは意味がありません。社会全体に届けていくことが重要だと考えています。
これからも日本で働く外国の方は増えていくと思います。当然、採用する企業側は不安を感じることもあるでしょう。ですから、受け入れる側のマインドのあり方や、やさしい日本語を用いたコミュニケーション研修といった活動で、少しずつ社会を変えるきっかけ作りをしていきたいですね。
また、私自身、日本語教師として外国の方と接するようになって、こんなに魅力的な仕事はないなと感じています。ですから、日本語教師を目指す方や日本語教師として活動している方へ情報発信をしたり、講座を開いたりして、日本語教師の働き方のサポートもしていきたいと思っています。
編集後記
「日本で暮らす外国人のうち、88%の方が日常会話に問題ない日本語が使えるって知っていました?88%もいるんですよ!
それなのに日本人は、外国人を見るとなぜか英語でしゃべってしまうんです。『わたし、日本語しゃべれます』と相手が言っているのに『オー!レアリー!?』なんて答えちゃう」
たしかに…私もへったくそな英語で返した記憶があります。
「逆で考えるとすごく失礼じゃないですか?
例えばパリのシャンゼリゼ通りを歩いていて、アジア人だからといって『ニーハオ!』と話しかけられて良い気分になりますか?
『ボンジュール、マダム!』って言って欲しいでしょ?それくらいの言葉は知っているし!ってなりますよね。
ですから日本人も、日本にいる外国人には日本語でおもてなしすれば良いんですよ」
まずは私たちの思い込みをなくすことが大事だと感じました。
(写真:今井 剛)